- 見切りとは
- 相場が思い通りに動かず、むしろ逆の方向に動き出して損勘定になっているとき、先行きの見通しを冷静に再検討するため、一旦建玉を手仕舞いすること。 早めに決断することが、大きな損失を未然に防ぐテクニックである 外為、衆議院帝国憲法改正案委員小委員会(通称・芦田均小委員会)の秘密議事録が50年ぶりに公開され、これをきっかけに企画、翌1996年の日本国憲法制定50周年記念として製作された。企画したNHKプロデューサー・金沢宏次は、日本国憲法制定を通じ、日本再建に党派を超えて取り組む政治家、学者らによるドラマティック(躍動的)な駆け引きの再現を目指す。脚本は、戦後日本のあり方を問い続けてきたジェームス三木が担当した。 第一部「象徴天皇」では憲法問題担当大臣・松本烝治(津川雅彦)と公爵・近衛文麿(江守徹)の確執を軸に、総理・幣原喜重郎(神山繁)、外相・吉田茂(鈴木瑞穂)らの動きを描く。第二部「戦争放棄」は、松本委員会による極秘の「憲法問題調査委員会試案」を毎日新聞が1946年2月1日にスクープ、これに対し、GHQが憲法草案制定会議(民政局を一時改組した組織)にまとめさせてつくったGHQ草案について、GHQ側と日本政府側がその翻訳や修正、解釈などをめぐる応酬をドラマとして構成。 大日本帝国憲法では、法律によらなければ逮捕・監禁・審問・処罰を受けないと定めていたが、実際には警察による拷問などが行われ、人身の自由の保障は不十分だった(“法の定める範囲において”という留保が為され、強制・規制を容認する法律が制定される事で自由は有名無実と化していた)。日本国憲法では、第18条・第31条・第33条・第34条・第36条などで人身の自由の保障について詳細な規定をしている。 不動産の自由(身体の自由)に対する拘束は公的機関によるもの(刑事事件関連)だけとは限らない。 基本的人権の一つで、社会を生きていく上で人間が人間らしく生きるための権利。生存権、教育を受ける権利、労働基本権など基本的人権で保障されるこれらの権利を社会権と呼ぶ。 他の基本的人権と比べて比較的新しいことから、20世紀的人権ともいわれる。その理由は、産業革命以前は「貧乏は個人の自己責任」という考え方であったが、資本主義の高度化によって構造化した貧困に対抗し、自由主義の理念である個人の尊厳を守るため、国家による富の再分配を肯定する考え方(リベラリズム、英:New liberalism)に変わった。結果、個人の生活を形式的にだけでなく実質的にも国家が保障しなければならないという社会権(国家による自由)が登場した。平等原則とは国民一人一人への平等な取り扱いを国家に対して要求したもので、自由裁量処分の統制原理として用いられる他、権力的な行政活動の適否を判断する際にもに用いる。 法の下の平等には平等原則だけでなく平等を権利として主張すること(平等権)も保障する趣旨なのか問題になるが、平等権を認めるのが通説であり、判例もそれを認めている。 FXは平等権に違反するような行為の違憲性の判断基準につき、判例は具体的に制約される権利にもよるが一般には合理的な理由があればよいとしているが、学説はより厳格な基準を用いるべきと主張している。また、憲法第14条に列挙されている事由とそうでない事由とで違憲性の判断基準に強弱をつけるべき(列挙事由に抵触する行為は違憲性を推定すべき、など)と主張する見解もある。 近代市民革命当時に、憲法制定の論拠として説かれたのがこの概念の始まりである。エマニュエル=ジョゼフ・シエイエスがフランス革命の際に著書『第三勢力とは何か』で著したのが代表的な見解である。この考え方は、現代においては憲法改正の限界を基礎付けることともなった。 憲法が国家による不当な諸権利の制限から国民を保護するものであるとする法の支配の考え方からすれば、国家が憲法制定能力を有することは、泥棒に自らを縛る縄をなわせるのと同じことであるから、立法府のような国家機関がこの能力を持つことには矛盾が付きまとう。 そのため、歴史的には、アメリカのマサチューセッツ憲法の制定過程でコンコードという町が表明した「コンコード回答」のように、憲法案を審議するため、通常の立法機関とは異なる特別の制定会議を招集し、さらに憲法案が人民による十分な討議にゆだねることによって憲法は制定されるべきとされる。立法権・行政権・司法権は、各々憲法によって創り出された国家作用であり、憲法を自身を創り出す憲法制定能力とは当然に区別される。 さらに、憲法改正権についても、憲法制定能力によって創設された権利であるから、憲法の定めた形式的手続きに従っていたとしても、憲法制定能力を否定するような根幹的部分にむけた憲法改正権の発動はできないとの考え方がある。 14条1項は、「すべて国民は、法の下に平等であつて」を前段、「人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」を後段とし、後段に列挙されている「人種、信条、性別、社会的身分又は門地」という差別の具体例を後段列挙事由と言う。 後段列挙事由の解釈をめぐって学説が分かれている。 学説には大きく分けて次の3つがある。 α、限定列挙説・・・差別は絶対的に禁止されるが、後段列挙事由のみが禁止される差別とされる。 β、特別意味説・・・差別は原則的に禁止されるが、後段列挙事由は、このうち特に重要なものが記されているとして、より厳格な基準で審査する。 γ、例示説(判例)・・・後段列挙事由は、法の下の平等を、単に例示しただけのものであって、他の差別と同様に原則禁止されると解する。 日本では、日本国憲法において、三原則の一つである「基本的人権の尊重」として記述されている。ただし国家に対する請求権である社会権は、国籍を有しない外国人には原則として認められない。かりに認められたとしても国民と外国人の間での異なる取り扱いが許容される。 著名であり、かつ写真や映像が残る実在の人物を再現する困難に直面したNHK製作スタッフは、約200人に及ぶ登場人物の配役選定だけで一ヶ月をかけるなど、配役や、登場人物の服装・メーキャップなど、再現のための工夫を重ねて製作した。 NHK土曜ドラマ枠で放映され、第一部は11月30日、第二部は12月7日に放送された。 基本的人権の一つで、国家から制約を受けるまたは強制されずに、自由にものを考え、自由に行動できる権利のことをいう。古くはイギリス権利章典・アメリカ独立宣言・フランス人権宣言から謳われ、今日までの歴史を持つ。内容は人間の自由のすべてに及ぶゆえ、その一覧を作ることはまず不可能である。自由権は、人権の中でも特に重要な人権といわれる。 日本国憲法においては、内容は経済的自由権、精神的自由権、人身の自由に大別することができる。精神的自由権には、思想・良心の自由や信教の自由、表現の自由、学問の自由などが含まれる。経済的自由権には、職業選択の自由や営業の自由、財産権の保障が含まれる。人身の自由は、奴隷的拘束の禁止や不当逮捕などの禁止による被疑者・被告人の人権保障(罪刑法定主義・適正手続)などからなる。 脚本のジェームズ三木は本作脱稿直後、松本委員会の試案や日本政府側の動きに軸を据えた本作を補うため、GHQ側の動きに焦点を当てた演劇を着想。のち戯曲を書き上げた。この戯曲『真珠の首飾り』は、GHQ憲法草案制定会議のメンバーで、憲法24条を起草しGHQ草案をめぐる徹夜の日米交渉でも通訳として活躍したベアテ・シロタ・ゴードンに焦点をあてている。ジェームズ三木作・演出の劇団・青年劇場作品として1998年に初演、全国で長期にわたって巡演されている(2005年11月現在の最新公演は2005年7月の高崎公演)。ベアテ・シロタ・ゴードン本人も観劇した。またジェームズ三木は本ドラマと同名の長編小説『憲法はまだか』を2002年に角川書店から上梓している。 作品は護憲派寄りでも改憲派寄りでもなく、いわば憲法の成立過程をそのいい面も悪い面も淡々と中立的に描いている。